ヴァイオリン弾きにはアザがある

ヴァイオリン弾き内山恭子のエッセイブログ

自分へダメ出しすることと、自分に厳しくすることは全くの別物

他人から言われた「貴方はダメだ」とか「貴方は終わりだ」など、否定的な言葉は重く受け止める一方で、「貴方は素晴らしい」といった褒め言葉は素直に受け取れない癖(へき)。

 

厄介だなぁと思う私の癖アレコレの中で、この癖は厄介度トップ5に入る。

 

私に対して「貴方は素晴らしい」という人よりも「貴方はダメだ」という人の方が、信用に値する人間のように思えてしまう。肯定的な言葉や、それをかけてくれる他人を疑ってしまう。

 

自分に向けられる否定的な言葉ばかりが真実味を帯びて聞こえるあの現象は、一体何なのだろう。

 

一つに私の性格が影響していることは間違いないのだが、思い返すと桐朋の同期や先輩後輩、そして桐朋以外の音高、音大出身の知人にも、私と似たような「癖」を吐露している人は一定数いたので、音高音大(クラシック業界)に根付いている風習、環境が背景にあることは無視出来ないと思う。

 

桐朋時代、とにかく劣等感を煽られ、練習させられた。当の本人は「やらされている」気などないのだが、今思えば「練習しなきゃ」という強迫観念にかられて弾きまくっていただけのような気もする。

 

真の意味で実のある練習が出来ている瞬間が、一体どれだけあっただろう?

 

レッスンの帰り道、道端に落ちている鼻紙を眺めつつ「あぁ私、この鼻紙より価値がないな」と思いながら、トボトボ歩く。

 

自尊心の欠片も残っていない高校生の私に向けて、音楽の手ほどきをして下さった先生が放った言葉は劇薬だった。

 

「自分の演奏に対して『上手くいったな』とか『あ、今良い音が出せたな』なんて思ってはダメ。そう思った瞬間、演奏家としての貴方は終わりだから。音楽家人生が絶たれたと思いなさい」

 

私は劇薬を劇薬とも思わず「これは真理だ、これが出来ない人間は音楽家失格なんだ」と思い込んでしまった。人一倍不器用な癖に、完璧主義で理想ばかりが高い10代の私は、危うかった。

 

劣等感が、練習する上での最高のモチベーションになる、そんな不健全な思考に何ら違和感を覚えることがない。呼吸で酸素を取り入れるかのように、自然と体内に入ってくる。率直に言って、桐朋という学校にはそういう不健全な思考が充満していたな、と卒業して8年近く経った今でも思っているが、何も桐朋だけが不健全だった訳ではないと思う。

 

ヨーロッパを拠点に、世界で活躍するヴァイオリニストを多数輩出したことで名高い某教師が、日本の新聞のインタビューで「演奏家は、自分の現状に満足した時点で振り出し戻ったも同然」と公言していたのを、私は今でも記憶している。

 

スポーツの指導現場において、コーチや監督が異口同音のフレーズを口にするシーンを、テレビで目にしたこともある。

 

私よりも一周り歳下の有名俳優が、自分の下積み時代に関して「私は先生に劣等感を持たせて頂いた」と語っているのを目撃した時は、目眩を覚えた。

 

業界問わず、蔓延している考え方のように思えてならない。

 

平たく言えば、現状に甘んずることなく努力し続けよ、ということなのだろう。

 

その点については私も異論はないが、この手の言葉や表現は、自分に厳しくすることと、自分にダメ出しすることがイコールであるかのような印象を与えかねない。

 

自分に対して過剰なまでにダメ出しする。他人が自分を否定する言葉ばかり真に受ける。

 

そういった自罰的な態度と、自分に厳しくあることは、全く別物。似て非なるものだ。

 

自分のダメな部分ばかり見つめ、それしか目に入っていない、という状態は客観性を欠いている。

 

客観性を欠いていれば、自分の立ち位置を把握出来ず、ひいては自分が目指すところ、目標地点までの距離を正確に測ることが出来ない。

 

正確に測定出来なければ、目標地点に辿り着けるかどうかは、行き当たりばったりになる。

 

自罰的になることで生じる苦しさ、キツさが「私は今、自分に厳しく出来ている、努力している」という安心感、錯覚をもたらす。

 

これは麻薬だ。

 

「こんな演奏をしたい」「こんな音を出したい」…そんな願いや目標を実現するために練習していたはずが、いつの間にか自分を安心させるための練習にすり替わってしまう。

 

そして麻薬による代償は大きい。自覚のないうちに自尊心がどんどん削られ、消耗するばかり。下手をすれば身体を壊すことにも繋がりかねない。

 

最初に「否定的な言葉ばかりが真実味を帯びて聞こえる」と書いたが、否定的な言葉と肯定的な言葉のどちらか一方が真実で、重くて、芯を食っている、などということは、ない。

 

否定的な言葉の方が、くらった時のダメージが大きいし、毒が強いから、そちらに引っ張られ易いけれども、「貴方は素晴らしい」も「貴方はダメだ」も、ベクトルが正反対の方向を向いているという点だけが異なっていて、他は一緒なのだ。

 

では、どうしたら麻薬中毒から抜け出せるのか。

 

否定的な言葉ばかり受け止め、信じる、という行動と逆のことをすれば良い。簡単に言ってくれるな、と思われるかもしれないが、やることは至ってシンプル。「肯定的な言葉を直ぐ疑う」という力を、あるいは「否定的な言葉ばかり信じる」力を、正反対の方向に応用してみる。即ち否定的な言葉にも疑いを向け、肯定的な言葉を信じてみる。

 

劇的には変わらないかもしれない。むしろ急に180度変えようとすると、反動でアレルギーを発症する可能性もあるから、あくまでも少しずつ、少しずつ。

 

そのようなプロセスを経て、私は中毒症状から脱出しつつある。その実感がある。

 

自分にダメ出ししながら頑張ることは、車のアクセルとブレーキを同時に踏む行為と何ら変わりない。それで辿り着ける場所なんて、たかが知れている。私の実体験から断言出来る。

 

ここまで読んで下さった方の中には、「肯定的な言葉ばかりを信じれば、自分の演奏の精度が落ちてしまう(甘くなってしまう)」ことを危惧する方がいらっしゃるかもしれない。

 

そう、私もそれが怖かった。何よりも怖かった。

 

だが最近になって、自罰的にならずに演奏の精度を上げていく、即ち「自分に厳しくする」とはどういう状態を指すのか、という長年の疑問をようやく腹落ちさせることが出来たので、次回の投稿で綴ってみたいと思う。